多分、駄文

問わず語りの極み

本①

直近で読んだ本である舞城王太郎九十九十九』について感想などを話していく。

記念すべき初めてのブログの、初めての記事に取り上げるような本では絶対にないのだが、本当にたまたまこの本を読んだ時期とブログ開設時期が被っただけである。

まず読んだ感想を端的に言えば、「なんじゃこりゃ」といった感じから入って、早すぎる展開についていけなくなり、最終的に「もう、やりたい放題だろこれ」と苦笑いしつつ読了した。

始めに断っておくと私はこういうハチャメチャな話が大好きである。

というのも、いわゆる王道や古典ミステリーといったものに少し飽きが来ているからだ。もちろん、よくできたトリックやワクワクする設定などを楽しむ心を忘れたわけではない(と思いたい)が、こういう飛び道具のような本が刺激になって、一度ハマると抜け出せない。

そんなこんなで、私はこの本は面白いと思った。終盤少しだれる点があったように感じたが、カオスな展開をまとめるには強引にならざるを得ないのは当たり前かもしれない。その展開を作ったのも舞城自身だけど。

何点かのポイントに触れていく。

一点目は、連なる作家たちの名前について。

この本自体、トリビュートでもあり、作中作などのメタ的構造を採用した作品だが、いたるところで現実の作家名や作品名があげられていたのが面白かった。最初の方に作品名が連なってあげられたところではミステリーファンとしてワクワクせざるを得なかった(ディスられたが)し、笠井潔お得意の大量死理論(戦争の大量死に対するアンチテーゼとして「意味のある死」が用いられた推理小説が流行したする説)を真っ向から否定していたにも関わらず見立てに使われていたりしていて面白かった。

トリビュートだからといって、清涼院流水は訴えたら勝てるんじゃないかというレベルで、ぐちゃぐちゃになっていたがそこも含め楽しめた。まあ本人も似たようなことを自身でやってるので問題はないだろう。

 

二点目は、愛について。

「鈴木くん」が逃亡していた時点で察していたが、やはり今回も愛の話だったんじゃないかと思う。舞城作品をたくさん読んでいるわけではないのだけれど、舞城王太郎が愛を非常に重要視していることはよくわかる。それは家族愛でもあるし、恋愛でもある。今回もそうだった。結局は、HUNTER×HUNTERのドキドキ二択クイズでゴンが言っていたみたいなことをしたかったのかな、思った。本当はもっと深いことを言っていたのかもしれないが、浅い人生経験の私にはわからなかった。おどろおどろしい見立てや大量殺人も舞城なりの照れ隠しにすら思えた。

 

三点目は、神について。

作中では、神についての記述がいくつも出てくる。殺人の見立ても、神話に関連しているし、登場人物である九十九十九自身も「探偵神」である。後者に関してはこれは後期クイーン問題の第二に対する皮肉というかアンチテーゼのようなものでもあるだろうし、オリジンである清涼院流水も少なからず意識して書いただろう。興味深かったのは、作者=神と置く記述についてである。メタ的小説からすれば斬新なものでもないのだが、見立てと合わせることで本当の神としての構造を物語上に引き出していたのは面白かった。さらに興味深いのは、匂わせられていたのに舞城王太郎自身の名前を登場させなかった点だ。清涼院流水はあんなに出てたのに。『暗闇の中で子供』で少し述べていたように、自身を小説というフィクションから一定の距離におきたいという気持ちがあるのだろうか。

 

なんとなく思ったことを書き連ねてみたが、結論としてはやはり「やりたい放題な作品ではあったが面白い」という感想だ。

未読の人に向けて。

清涼院流水舞城王太郎の作品を読んでなくとも、楽しめるは楽しめるが、多少読んでいるほうが間違いなく面白みは増す。また、ミステリーやメタフィクションに慣れていない人が読むと仰天して腑に落ちないと思うかもしれないので、ある程度慣れた人や、寛容な人におすすめする。

いろんな人にディスコ探偵を勧められるのでそちらも読まなければ。

それでは。